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生い立ち編⑧まとめ 僕の10代と90年代

2022.03.05

生い立ち編

幼少期から高校時代まで、長々と生い立ちを振り返ってみた。僕は10代のほとんどを90年代で過ごした。1982年生まれの僕は、俗に「キレる17歳世代」と呼ばれている。神戸連続児童殺傷事件や、バスジャック殺人事件、秋葉原通り魔殺人事件の犯人はみんな同い年。他にも有名な事件の犯罪者がこの世代には多く、なんとなく申し訳ないような肩身の狭いような思いをしてきた。普段はおとなしい子だったのに、突然キレて凶悪事件を起こした・・そんなニュースをよく耳にした。でも自分も、もし中二病がおかしな方向に行っていたら、彼らと同じような事を起こしてしまったのかもしれない。

思春期を迎え、社会に少しずつ関心をもつ頃に経験したのが「阪神淡路大震災」「オウム真理教事件」「バブル崩壊と不景気」だった。さらに2001年、19歳の時に「9.11」。温暖化や資源の枯渇といった環境問題も深刻。世界はどうなってしまうのかと不安に思った。世の中の空気は暗く重い、そして未来はあまり明るくない。それが常に当たり前として育ってきた。さらに就職難で、これまでのように「いい大学いい会社」が難しくなった時代。「勝ち組負け組」と言われだし、非正規雇用が爆発的に増えた時代。「自分探し」が流行り、生き方や幸せの価値観が一気に多様化していく時代だったのかもしれない。

そんな時代背景は、今思えば自分の内面にも大きな影響を与えた。これから世の中はどうなっていくのだろう、そして自分はどう生きればいいのだという漠然とした不安を感じていた。ジョンレノンの影響を受け自分もラブ&ピースに貢献できるような人になりたいけど、何をすればいいかわからない・・と思っていた。「いい大学いい会社」という親の望むレールには進みたくない!何か自分らしい人生を生きたい!という中学受験の反動で生まれた硬い決意だけがあった(笑)。

今思えば、そんな10代の頃の煩悶が八百屋になるひとつの原点だったのかもしれない。世の中に対する漠然とした不安と、その世の中に何か貢献することがしたいという思い。型にはめた生き方ではなく自分らしく生きたいという欲求。さらにやりがいを感じることをみつけてそれに熱中したいという欲求。それらの答えとして自分なりにいきついたのが「八百屋」という仕事だったのだと思う。

でも当時の10代の頃は、八百屋をやろうなんて1ミリも思っていなかった。野菜にも食事にも農業にも何の興味もなかった。育った家庭も食材に特別こだわっていたわけではなく至って普通。そんな僕が食や農業に関心を持つようになったのは、大学生として京都に来てからのことだった。

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