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大学時代編⑫ タイ・ラオスの旅

2022.03.23

大学時代編

南西諸島の旅を終えて、次はやはり海外へ行ってみたいと思うようになった。その当時僕は外国へ行ったことがなかった。当時はバックパッカーブームでインドや東南アジアが人気だった。図書館で「地球の歩き方」を読み漁り、まだ比較的観光客が少なく秘境の地という印象だった「ラオス」に興味が湧き、ラオスに行くことにした。八百屋でのアルバイトでお金を貯め、初のパスポートを取得して格安航空券を入手した。大学3回生、2004年の春休みで予定は1カ月。帰りの航空券の日程以外は何も決めていなかった。

深夜の飛行機でタイのバンコクへ。なんとかなるだろうとは思っていたが、実際に現地に着くと一人での海外は心細かった。本当に無事に帰れるのかとドキドキした。空港に着いたのも深夜だったので交通機関は動いておらず、初日は空港で朝を待った。そして列車に乗ろうと空港の最寄駅へ向かって列車を待った。すると到着した列車は大量の人がごったがえし、手すりにしがみつき今にも落ちそうな形で人が乗っていた。その光景はまるで、何かの映像で見た戦後混乱期の日本の列車風景のように思えた。経済発展著しいタイの空港、それなりの設備が整っているのだろうと思っていたのでその光景にまず最初の衝撃を受けた。「早く乗れ!」といった顔で合図されたが、あまりの衝撃に最初のその列車は見送ってしまった。その後無事バンコクへ移動して、タイ北部ラオス国境の街ノーンカーイ行きの夜行列車のチケットを買った。その列車を待つ間バンコクを散策。初めての屋台やトゥクトゥクを体験しちょっと感動。夜はチャイナタウン周辺の路上で闇市?野市?がはじまり、またまた衝撃を受けた。

その後メコン川を渡りラオスへ入国。ラオスでは首都ビエンチャン、自然豊かな景勝地ヴァンヴィエン、古都ルアンパバーン、少数民族が多い北部ルアンナムターなどを廻り、タイへ入りチェンマイ~バンコクへ戻るというルートで旅をした。当時のラオスはまだまだ経済発展が進んでおらず、素朴な風景が多く自然も美しかった。とはいえ初めての海外、見るものすべてが新鮮でカルチャーショックだった。特に市場では様々なものが売られていて、見ていて面白かった。

当時は自分と同じようにバックパッカーをしている日本人や欧米人がたくさんいた。あらゆる旅先の宿や観光地などで日本人に出会った。物価は安く、1食30円~50円、1泊100円~300円くらいで宿泊できた。旅の後半、確か北部のルアンナムターの小さな町だったと思うが、疲れてきたことと慣れてきて警戒心が薄れてしまったところを狙われ、お金を捕られてしまった。宿の窓のカギを閉め忘れて寝てしまい、しかも迂闊にもその付近にかばんを置いてしまっていたのだ。朝起きたら財布にお金が全くなく、愕然として頭が真っ白になった。現地の警察には一応届け出たものの、簡単に事情を聴かれ「goodluck!」とだけ言われた。

その後わずかに残った小銭を使いバスに乗り、この地に移動する前の町で出会い仲良くなった日本人の大学生を訪ね、事情を説明し助けてもらえることになった。彼もそんなにお金に余裕はなかったが、日々の食費や宿代を貸してもらいながら彼の目的地のタイのチェンマイを目指した。また親にホットメールで連絡し、チェンマイの日本大使館宛に送金してもらうよう頼んだ。チェンマイに着くと日本大使館へ行き、親から送金してもらったお金を受け取った。一人でなんでもできるつもりだったが結局親に助けてもらい、自分の小ささが身に染みた。そのお金で借りていたお金を返し、最後の数日はまた一人旅で小さな村などをまわった。

盗難被害はバックパッカーあるあるだと思うが、本当に油断は禁物だということを学んだ。他にも下痢がとまらなかったり、多少ぼったくられたりといったことはあったが、タイやラオスは比較的治安もいいとされていてそこまで怖い思いをすることはなかった。今思えば本当に貴重な冒険旅行で、いろいろあったが行けて本当によかったと思っている。ただ旅行者と現地の人々の経済格差をすごく感じた。自分もお金持ちの国日本の若者だから旅ができたわけだが、旅行者が観光地だけでなく現地の人の生活に近いところでもたくさん増えることで、現地の経済や文化を破壊している面もあるのでは・・?と考えさせられることもあった。

結局この旅の後は海外へ行くことはなく、このタイとラオスの1カ月の旅が今でも僕の唯一の海外への旅となっている。本当は30歳くらいまではフラフラして、もっとあちこち旅に出かけたいと思っていたのだが想定外に八百屋をはじめることになってしまった(笑)。

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