生い立ち編④ ジョンレノンとの出会い
2022.03.01
中学1年の大晦日(1995年)の日だったと思うが、テレビでビートルズの長時間特番があった。その当時、ジョンレノンの未発表曲がビートルズの新曲として25年振りに発売されるということが話題になっていて、それをふまえての特番だった。ビートルズの歴史を振り返りながら、現在のメンバーのインタビューも交えつつ、たくさんの名曲と貴重な映像が流された。これを見ればビートルズの歴史が一通りわかるような内容だった。それまでビートルズのことは昔の人という印象しかなく、ほとんど聴いたこともなかった。当時聴いていたのは、ミスチルやB‘Z、そしてブルーハーツ。しかしこの番組を観てビートルズって凄い!凄すぎる!と衝撃を受けた。ビートルズ世代だった父が録画していたこの番組を何度も何度も見て、すっかりビートルズにはまってしまった。父も子供がビートルズを好きになったことは嬉しかったようで、リアルタイムのことを話してくれたり、CDを買ってくれた。ビートルズは、コミュニケーションの少なくなっていた親子も繋いでくれた。
ビートルズの中でも特にジョンレノンの歌声や人間性、生き方に魅了された。多感な中二病だった僕は、瞬く間にジョンレノンの大ファンになり、ソロ時代の曲も聴き漁った。ビートルズ時代後半からソロ時代にかけて、変貌していくジョンの姿に興味をもった。ビートルズという名声を捨て、ありのままの自分の弱さをさらけ出し愛と平和を歌った姿がかっこいいと思った。そしてそんなジョンのメッセージを素直に受け取り、自分もラブ&ピースを広める人になりたいと多感な少年は思ったのだった。
中学2年の夏休み、「歴史上の人物を一人選んで調べ模造紙に書く」という宿題が出された。僕は先生に「ジョンレノンでもいいですか」と聞くと「それはダメだ」と言われた(笑)。しかし絶対にジョンレノンじゃなきゃ嫌だー!何でアカンねんと散々駄々をこね、渋々先生を認めさせた。そして嬉々としてジョンレノンのことを調べまくり、模造紙1枚でよかったところ5枚に渡って書き上げ、2学期の始めに先生を困惑させた(笑)。しかしやる気は認められたのか、そのジョンレノン模造紙は優秀賞として文化祭で張り出された。
当時特に影響を受けたのは「レボリューション」という曲だった。「革命を起こしたいって?ちょっと待てよ」「社会の構造を変えてやると君は言う へぇ、そうかい 自分の頭から変えてみなよ」 「それが社会の為になると君は言う へぇ、そうかい 自分の心を自由にしてやりなよ」「世の中は少しずついい方向に向かってるのさ」こんな歌詞だった。当時中二病だった僕は、親が悪い、学校が悪い、世の中が悪い、だからこんなに自分は苦しみ悩んでるんだ!と思っていた。でもこの曲を聴いてそうじゃない、自分の心を自由にしてやればいい、自分が変わればいい、周りに文句ばっかり言っていてもダメだと思った。この曲ですべてが変わったわけではもちろんないが、この頃から少しずつ変わりたいと思うようになった。
そして僕は中2の始め、バスケ部をやめて吹奏楽部に入部した。運動音痴でこのまま続けていてもレギュラーにはなれないし、ビートルズに感化されて自分も音楽をやりたいという気持ちになった。ただ吹奏楽部は当時はまだ女子のイメージが強く男子はひ弱なイメージで、なんかモテなさそう(下手なバスケ部の方がよっぽどモテないのだが笑)・・みたいな中学生特有の狭すぎる視野で一歩踏み出せずにいた。でもビートルズに出会ったことで、本当に好きなことをやれと背中を押してもらえたのだと思う。さらにいえばジョンレノンのラブ&ピースやレボリューションのメッセージが、「八百屋で世の中に貢献したい」という今の原点の思いにも繋がっている。
特に好きだった曲は「ストロベリーフィールズフォーエバー」「ドントレットミーダウン」「アクロスザユニバース」。ソロ時代なら「ジェラスガイ」「イマジン」「ラブ」「マザー」など。ジョンの繊細で優しい内面性を感じる曲が好きだった。