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生い立ち編③ 中二病発症

2022.02.26

生い立ち編

震災後、2月になり小学校が再開した。久しぶりに友達と会うことができて嬉しかった。小学校の体育館は避難所になり、グラウンドには自衛隊やってきた。自衛隊は仮設風呂をグラウンドに作り、無料で入ることができた。突如校庭に現れた自衛隊式のお風呂は、非日常が味わえてワクワクした。また自衛隊員のお兄さんとバスケをして遊んでもらったり、炊き出しをもらいにいったりと、不謹慎かもしれないがそれなりに楽しみを見出していた。

イヤイヤだった中学受験は、試験が3月に延期になってしまった。倒壊したビルや道路を横目に自転車で塾に通ったが、完全にやる気は無し。それでも試験当日は一生懸命やったが、問題は難しくて全然わからなかった。終わった後は解放感でいっぱいで、ついに自由だ~!と叫びたい気持ちだった。合格発表は父と見に行った。もちろん不合格だった。確実に不合格だろうと思っていたし行きたくもなかったのでまったくショックではなかったが、父の手前、しょんぼりと落ち込んだ顔を演じて帰ってきた(笑)。

その後は公立中学に進学。運動音痴なのにバスケ部に入った。当時は「スラムダンク」が大人気でバスケブーム全盛の時代だった。「運動神経のいいヤツ」になりたい夢はまだあきらめきれていなかったらしい(笑)。中学受験の反動か勉強はまったくやる気がせず特に数学、化学など理系が苦手でどんどん成績は落ちていった。そしてやってきた反抗期。あるあるだと思うが急に親が鬱陶しく感じ、何か言われると反発して声を荒げてキレる。部屋に閉じこもって会話しない。不良とかグレるとかそんなレベルでは全然ないが、とにかく何か常に悶々と鬱々として情緒不安定になった。それまで比較的「いい子」で育ってきたのに結構な変わり様だった。当時の親の気持ちを思うと心が痛い。今自分も親になって小さい子供が二人いる。こんなかわいい子が中学生になる頃には「うっさいんじゃ!」とか言い出すのかと思うとつらくなる(笑)。当時は中一だったが完全に中二病を発症していた。

そんな当時、強烈に心に刺さったのは「ブルーハーツ」の歌だった。当時はすでに活動休止していたしリアルタイムではあまり知らない。友達に借りたCDをテープに移し替えて、何度も何度も聴いていた。親や先生、大人たちがわかってくれない心の叫び・・それをブルーハーツが代弁してくれていると思えた。特にこれは自分の歌だ!と強烈に心揺さぶられたのは「少年の詩」という歌だった。「別にグレでるわけじゃないんだ ただこのままじゃいけないってことに気づいただけさ」「先生たちは僕を不安にするけど それほど大切な言葉はなかった」「誰のことも恨んじゃいないよ ただ大人たちに褒められるようなバカににはなりたくない」こんな歌詞が当時の自分の心にグサグサと刺さった。一度、母にこの曲を聞かせたこともあった。母は「ナイフを持って立ってた・・ってなんなん。怖いわ・・」といって困惑していた(笑)。

そんな絶賛中二病だった中一時代。時代背景も暗かった。地下鉄サリン事件は小学校の卒業式の日だった。卒業式から帰ってきたらテレビでとんでもないニュースをやっていたので驚いた。その後明らかにになるオウム真理教事件が、当時の社会を震撼させていた。そしてバブル崩壊と不景気。就職難や会社倒産のニュース。当時の自分にはまだよくわからなかったが、世の中はどうも行き詰っている、何かいろいろな歪みが生まれている・・だから俺もナイフを持って立っていたい・・・(笑)。そんな風に感じていた。

THE BLUE HEARTS – 少年の詩 – YouTube

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