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開業準備編② 中央市場でアルバイト

2022.02.16

開業準備編

朝5時出勤だから、4時には起きて当時住んでいた一乗寺から原付に乗って出勤。2月の早朝はとても寒くて朝起きるのが辛かった。確か週5で働いていた。

僕の職場は、京都や滋賀の近郷野菜が集まる「近郷野菜部」だった。事務所で着替えて、5時には現場へ降りる。その日セリにかけられる野菜が並べられている。社員さんから、あれをこっちに運べ、ここに並べろ等と言われて動くが、あまりたいした仕事はない。割とぼーっと時間を潰しながら、詰所でストーブに当たりながら、6時のセリが始まるのを待つ。

セリが始まると、次々にセリにかけられる野菜を大声で叫び(今競りにかけられている野菜を知らせる役目)、競り落とされた野菜に仲卸業者の番号をマジックで記入していく。そしてセリが終わるとその野菜を仲卸の店やあちこちにモートラで配送にまわった。かといって、これもそんなに忙しいわけではなかった。途中で社員さんに缶コーヒーをおごってもらい、やたらと長い休憩がいつも挟まれた。仕事が少ない日は仕事をふるのがめんどくさくなったのか(笑)、「ちょっと適当に休憩しといていいよー。1時間くらい」という謎の指示を出されることもあった。決まったルーティンワークが与えられることなく、あれせいこれせいと雑用をひたすら頼まれるか、それがなければ暇、という職場だった。暇な時間の方が圧倒的に多かった。バイトの立場としては楽して給料がもらえるのはまあ悪くはなかったが、仕事のやりがいは全くなかった。こんな仕事のさせ方をしていたら人件費の無駄使いも甚だしいと思った。にもかかわらず、「社員にならないか?」と誘われたこともあった。これ、僕何のためにいるのかな・・絶対僕必要ないよな・・と思いながら働いていた。

9時頃からは事務所に上がって、また謎の雑用を任される。社員さんから渡された伝票を、AボックスかBボックスに入れるみたいな。そのあとは何をしていたんだろう・・あまり覚えていない。大根の葉っぱを切ったり、冷蔵庫から冷蔵庫へ野菜を移動させたり、ほとんど言われるがまま働いていて、何をしていたのかよくわからない。

時間をもてあましてほとんど何もしていないのに、出勤時間は確か12時か13時くらいまであった。アルバイトなのに、なぜか全社員会議に参加させられたこともあった。社長の話は、「農業新聞は読んでいるか」とか「危機的な状況だ」みたいなことを言っていたと思うが、それを聞いている社員さんたちには全く何も響いていないようだった。みんなつまらなさそう、だるそうに黙って聞いていた(自分もそのうちの一人だったのだが)。僕だけでなく、他に働いている人たちのモチベーションもとても低いと感じた。僕のついていた社員さんは「パッとせんねー」が口ぐせで、いつも何かの愚痴を言っていた。

中央市場の流通システムを肌で身近に感じられたことはとても勉強になった。それまでアルバイトしていた八百屋は、美山の野菜だけを店主が集めてきて売っている特殊な八百屋だったので、中央市場とは全く接点がなかった。自分がこれからやろうとしている八百屋も、中央市場から仕入れるつもりは当時は全くなかったが、勉強のためにという気持ちで働かせてもらった。

2月後半から3月いっぱいの1カ月半ほどの短い間でアルバイトは終了した。短い期間しか働かず辞め、たいした仕事もしてこなかったのに何の文句も言われなかった。それどころか社員のみなさんは「これまでありがとうな」と優しい言葉をかけてあたたかく送り出してくださった。いい人たちばかりだった。しかしこののち約8年後、この会社は廃業してしまい京都中央市場の荷受け会社は1社だけになってしまった。

僕の方はこのアルバイトから約6年後、産直の八百屋でやり続ける限界を感じ買い手として中央市場に戻ってくることになるのであった。

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