開業準備編① 資金、スキル、計画性、オールゼロ
2022.02.15
僕の運命を変えた2006年2月8日。そこから僕は八百屋をやろうと決心した。
そしてオープンしたのは約3カ月後の5月10日。今思うと、決めてからかなり短期間でオープンしてしまっている。もっとちゃんと準備してからやれよ、と今なら言いたい。普通開業というと、資金をしっかり用意して、事業計画をしっかり立てて、スキルもしっかり身につけて、準備万端にして行うものだ。僕の場合、そのすべてがなかった。八百屋でアルバイトをしていたといっても、売り子をしていただけで仕入れや経営のことは一切やったことがなかった。貯金も当然なかった。車もない。完全にゼロからなのに、3カ月後にオープンしてしまった(笑)。
開業までの3カ月間にやっていたこと。
まず、中央市場で早朝のアルバイトをはじめた。早朝の仕事は時給もよく、野菜の流通の勉強にもなる。そして日中は八百屋開業のための準備に使える。セリ場で競り落とされた野菜を振り分けて運んだり、いろいろな雑用をこなした。1カ月半ほどお世話になった。
仕入れ先を探した。その当時は今ほど生産者の情報がネット上にあるわけではなかった。人づての紹介やイベントに参加して生産者との繋がりを探した。大学時代の先生に相談して、無農薬野菜の宅配業者を紹介してもらった。そして現地にたくさん足を運んだ。なんとか数名の生産者と繋がりを作ることができた。
東京に八百屋や自然食品店巡りにも行った。開業したらきっと忙しくてなかなか行くことができないだろうと、妻の遼子(この時はまだ結婚はしていない)と一緒にいろいろなお店を巡った。楽しかった。
A4ノートに、なぜ八百屋をやりたいのか、どんな八百屋がやりたいか、といったコンセプトを書きまくった。「世の中のためになる仕事がしたい。それが僕にとっては八百屋だった。それが僕に与えられた使命だった。」「無農薬のもの、季節のもの、できるだけ近場のものを売る。なぜそれを売るのか。その理由」そんなことをノートいっぱいに何度も何度も書いた。そしてノートの表紙には「初心忘るべからず」と書いた。今でもそのノートは持っていて、時々見返している。
銭湯の薪置き場から廃材を分けてもらい、野菜の陳列棚や看板を作った。手のこと金づちで作りペンキを塗った。でも基本不器用で下手くそなので、棚はガタガタのグラグラ。何度も作り直してやたら時間がかかってしまった。もっと他にやるべきことがあるやろ・・と今なら思う(笑)。リサイクルショップで業務用冷蔵庫を1万円で買った。車は5万円で知人の知人に譲ってもらった。3か月の間に何度も故障を繰り返すとんでもないポンコツカーだったが、なんとか乗りこなした。
親に事の顛末を報告しに行き、熱意をもって八百屋を本気でやりたいと伝えた。そして車を買う費用と開業資金として50万円を貸してほしいとお願いした。父は何も言わず黙って話を聞いた後、「わかった。100万円貸したるわ」と言ってくれた。ものすごく嬉しかった。親は、就職せず八百屋でアルバイトをしている息子のことをきっとかなり心配していた。ちゃんとした大学に入って、ちゃんとした会社に入ってほしかったのだと思う。京都のよくわからんマイナー大学(京都精華大学)に行ったあげく、就職はしないと言い出し八百屋で働いている息子のことはきっと悩みの種だった。ちなみにうちの父は銀行員。バリバリのエリートサラリーマンだった。親に心配をかけていることに、多少の後ろめたさを感じていた。そんな僕の言葉を信じてくれるのか不安だったが、親はいつも自分のことを全力で応援してくれる存在なのだと改めて知った。もう親を心配させたくないし認めてもらいたい。期待も裏切れないと、より決意は強くなった。資金面での援助は正直ありがたかった。というかこの100万円がなければ開業してからの数カ月、収入がほぼなかったので生きていけなかったかも。
開業準備期間は夢いっぱいで楽しかった。開業してからは、当然ながらもがき苦しむ日々が待っていた。明らかに準備不足だよね(笑)。