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ロマンのある野菜

2022.01.25

考え方

無農薬だからいいってわけじゃないってことを前回書いた。無農薬だから安全安心でも美味しいわけでも栄養価が高いわけでもない。

じゃあなぜ無農薬の野菜を15年以上も売り続けているのか?普通栽培の野菜もたくさん売ってはいるけど、それでも少々質が落ちても無農薬のものを優先している。

サステナブルだから?それもあるにはある。持続可能な農業の実現を・・とか環境負荷の少ない農業を広めるため・・とか。でも有機栽培だけが絶対的にサステナブルだとは思わない。

そもそもどういうレベルでのサステナブルなのか?
農地を荒廃させない、次の世代へ受けついていくという意味では耕作放棄地を減らすことの方が大事だ。地方で増える耕作放棄地を一手に引き受けて、何とか農地を維持しようと奮闘している生産者がたくさんいる。農地の規模が大きいから農薬は最低限使う。そういう生産者はサステナブルではないのか?とすごく思う。だから,有機ですサステナブルです(有機じゃないのはサステナブルではありません)!みたいなニュアンスが含まれる売り方はしたくない。そもそも仮にすべての農地を有機栽培に切り替えて、果たして十分な食料を供給することができるのかという問題もある。

化学肥料は輸入に頼っているのが問題だが、有機農業に使う資材でも輸入品では多い。また天然由来成分であってもその製造過程で環境負荷の大きいものもある。そもそも化学肥料であれ有機肥料であれ土壌に投入しすぎれば川に流れ、水質汚染の原因になる。

除草剤を使わないためにビニールマルチをたくさん使うなら、最低限の除草剤を使う方がよくないか?という考えで除草剤を使われる方もいる。また除草剤1回だけの使用で除草の手間が大幅に削減され、それによりたくさんの田んぼが維持されているという現実もある。田んぼをサステナブルに次世代につなぐために最低限の使用はいけないのか?と思う。

有機がサステナブルで慣行はそうじゃない、と白黒はっきりつけられるようなものではない。

冒頭に戻って、ではなぜ無農薬野菜を売り続けるのか。その理由は、もう「ロマンがあるから」としかいいようがない(笑)。農薬や化学肥料を使わずに俺は(私は)立派な野菜を作ってみせる!!という心意気。生き物に優しい農業がしたい!!というピュアな想い。有機=付加価値ではなくて、あえて極論してしまえばそれは生産者の自己表現であり生き様だ。でもその強い想いが野菜に込められているから、見た目からも何かそこに魂が入っていると感じるのだ。そういう魂の入ったものを食べたいと思うし、それが美味しいと感じる理由だと思う。

だが無農薬でも気持ちの入っていないなと感じる野菜もたくさんある。そういう野菜は魅力を感じない。とにかく有機マークつけれたら付加価値で売れるでしょ、っていう雰囲気の中身のない野菜。あるいは、「俺の農法」にこだわりすぎて、食べるお客さんのことへの気持ちや優しさが感じられない尖りすぎた野菜。そういう野菜は売りたいとは思わない。

慣行栽培でもこれはすごいなと魂を感じる野菜はたくさんある。俺は農薬も化学肥料も美味しい野菜を作るためなら必要によっちゃ使うけど、とにかく最高にいい野菜を作りたいんや!どや!みたいなそういう顔をしている野菜というか。それはそれでもうロマンのかたまりで、素直にすごいなと思うし食べても美味しい。そしてこの感動を、このすごさをお客さんにも知ってほしいという気持ちで店頭に並べる。

料理でも同じように作っているはずなのに、できあがりの味をイメージできているかどうか、誰かに食べてもらいたいという気持ちで作るかどうかで味が全然違ってくる。昔、屋台の焼きそばがとてつもなくまずいことがあった。もともとそんなに美味しいものを期待していたわけではないし、どこで食べても同じだろうと思っていたのに、すごくまずかった。その時、焼きそばを作っていた若いお姉ちゃんが、そういえばものすごくダルそーに作っていた。もう嫌々やらさせれてますって雰囲気がでまくっていた。多分何をしているのかもわからず、ただただ言われた材料を鉄板の上でかき混ぜていただけなんだろう。仕事が楽しくもないし、もちろん美味しいものを作ろうなんて気持ちはゼロ。そんな気持ちの入ってにいない料理は材料は同じでも最悪にまずい。たまにそういうものに出くわすととてつもなく気分が悪くなってしまう。

話が脱線してしまったが、野菜作りもそれと似ている。自然の力に左右されるとはいえ、野菜作りも人の想いや気持ちが大きく結果に影響する。楽しく仕事をしている人が、美味しく食べてほしいなという気持ちで作った野菜はその栽培方法がどうとかいう問題ではなく基本的に美味しい。農薬がどうこうというのは一部分のことでしかなくて、もう「ロマン」があるかどうか。そこに魂がこもっているかどうか。はっきりいってそれしか野菜の良しあしの判断基準はない、というのが15年以上有機も慣行も両方扱ってきた八百屋の結論。

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