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下鴨時代編① 試行錯誤の毎日

update:
2022.3.30
category:
下鴨時代編

開業初日こそそれなりの売り上げがあったものの、翌日からは厳しい毎日が続いた。1日の来客数は5人~10人程度。売り上げは5000円~8000円くらい。仕入れた野菜はほとんどがTさんの畑の肥料となって消えてしまった(笑)。どうしてもやりたかったドライフルーツやナッツの量り売りも、夏が来て「これ品質管理的にやばいんじゃ・・」と気づき、あえなく終了。ああでもないったらこうでもないと、やたらと陳列台を作り直したり、一生懸命野菜の絵を描いたポップをつけてみたり、今思うといろいろ時間の使い方を間違えていた(笑)。なかなか思うようにならず、夢と現実の間で葛藤する毎日だった。

そんな日々ではあったが、常連になってくださったご近所のお客様も何名かできた。何も言わず、生姜や玉ねぎを毎日1つだけ買っていかれるお客様もいた。きっとあまりにも暇そうなので不憫に思ってくださったのだと思う。お気持ちがありがたかった。また当時はオーガニックを買える場所がまだまだ少なかったので、オーガニック志向の方がいろいろと情報を聞きつけて買いに来てくださることも徐々に増えていった。日曜日になると遼子も店を手伝いにきてくれて心強かった(当時は日曜日も営業していた)。本当に少しずつではあったが売り上げは伸びていった。

とはいえ4カ月ほどたち開業時に親に借りた100万円もほぼ底をつきはじめ、いよいよやばいと感じ始めた。なんとか月10万の利益を出すという目標をクリアすべく、仕入れの改善などにいよいよ本気で取り組みはじめた。

大学時代編⑬ 卒業~フリーター~八百屋への想い 

update:
2022.3.26
category:
大学時代編

タイ・ラオスの旅から帰ってきて、僕は4回生になった。多くの学生は就職活動に忙しくなる頃なのだが、僕は全く就職する気はなかった。もともと人と違ったことをしたいという性格であったことと、オーガニックや環境問題に目覚めたことで一般企業に就職したくないという気持ちが強かった。親は何とかして就職させようと思っていたが、自分の道を生きたいと頑なに就職は拒んだ。とはいえ明確にやりたいことがあったわけではない。「将来は農業か、八百屋か、ゲストハウスか、オーガニックカフェか、そんなのができたらいいな~、でもとりあえずはまだまだ旅にたくさんいきたいし、30歳くらいまでに決めたらいいかな」とゆるーく考えていた。そんなわけで卒業後は、そのまま八百屋でのアルバイトを続けた。シフトを増やしてもらい毎日朝からラストまで働くようになった。

そんなお気楽者だったものの、いつまでもバイト生活というわけにはいかないよなと考えてはいた。そんな時「野菜ソムリエの美味しい経営学」という本に出会った。「野菜ソムリエ」を考案し日本で広め、当時東京で「EF(エフ)」という八百屋を多店舗展開されている方が書いた本だった。その本には日本の農業や野菜流通の様々な問題点が書かれていた。そしてその解決策の一つとして「従来型の対面販売の土臭い八百屋は若い世代には入りにくく衰退している。しかしセルフスタイルのスーパーは専門家がおらず、野菜の旬やこだわりの栽培方法などの価値を消費者に伝えられていない。これからの日本には、おしゃれで入りやすく、また食べ方や旬、産地や生産者の情報をきちんと伝えながら売る新しい八百屋が必要だ。それが日本の農業の質を高め発展させることにつながる」といったことが書かれていた。しかも実際に東京で八百屋を多店舗展開されていて、売上も順調だとある。そして本の最後には「従来の殻を破る農業者や流通業者の方々が、今後さらに増えていくのを心から期待しています。その意識の変化こそが、これからの農業イノベーションのエネルギーになるはずです。」とあった。

八百屋がちゃんとビジネスとして成立しうるということがまず目からウロコだった。というのも僕が働いていた八百屋はビジネスとしてはかなりひどい状況だった。それを見ていたので将来自分で八百屋をやるのもいいけど、ちゃんと生計立てれるのかな、無理そうだなという気持ちがあった。八百屋でやれる、と書かれていることに凄く励まされた気分だった。「八百屋は農家さんに貢献できて、お客さん喜ばれて、とてもやりがいのある仕事だ。アルバイト経験も活かせるし、若い世代に受け入れられる新しいスタイルのおしゃれな八百屋をやってみたい!農業やカフェをやるより、そっちの方が自分には向いている気がする!よし、将来はやっぱり八百屋を目指そう!」とこの本を読んで思った。

とはいえこの時はまだ、まあ5年後くらいかなとやはり呑気に考えていた(笑)。そんな僕が急遽八百屋をやることになったのはこの本を読んだ約2カ月後だった(なぜ八百屋をやることになったのかは「開業準備編 奇跡のひとしずく」をお読みください)。この本の出版日を改めて確認してみたら2006年1月とあった。僕が開業したのが2006年の5月なので、今思えば絶妙なタイミングでいい本に出会ったなと思う。読んでいなかったら、八百屋で本当にやれるのかと迷ったかもしれない。10年振りくらいに久しぶりに改めて読み返してみたら、線がいっぱい引いてあった。そしてこの本に書かれている八百屋のやり方を、かなり忠実に実現しようとしてきたんだなと思うところがいっぱいあった。

長々と「大学時代編」を書いてきたが、ようやく「開業準備編」の時代と繋げられた。学生時代とその後の1年間の八百屋バイト生活の間に受けた様々な影響で、徐々に自分の方向性を見出していった。とはいえ八百屋開業後は、それまでとは比べ物にならないくらい様々な悩みや葛藤を抱え、考え方も様々に変化しブレにブレまくってここまでやってきた。次回からはそんな開業後の様々な思考変遷やエピソードを書いていきたいと思う。

大学時代編はこれにて終了します。お読みいただきありがとうございました。

大学時代編⑫ タイ・ラオスの旅

update:
2022.3.23
category:
大学時代編

南西諸島の旅を終えて、次はやはり海外へ行ってみたいと思うようになった。その当時僕は外国へ行ったことがなかった。当時はバックパッカーブームでインドや東南アジアが人気だった。図書館で「地球の歩き方」を読み漁り、まだ比較的観光客が少なく秘境の地という印象だった「ラオス」に興味が湧き、ラオスに行くことにした。八百屋でのアルバイトでお金を貯め、初のパスポートを取得して格安航空券を入手した。大学3回生、2004年の春休みで予定は1カ月。帰りの航空券の日程以外は何も決めていなかった。

深夜の飛行機でタイのバンコクへ。なんとかなるだろうとは思っていたが、実際に現地に着くと一人での海外は心細かった。本当に無事に帰れるのかとドキドキした。空港に着いたのも深夜だったので交通機関は動いておらず、初日は空港で朝を待った。そして列車に乗ろうと空港の最寄駅へ向かって列車を待った。すると到着した列車は大量の人がごったがえし、手すりにしがみつき今にも落ちそうな形で人が乗っていた。その光景はまるで、何かの映像で見た戦後混乱期の日本の列車風景のように思えた。経済発展著しいタイの空港、それなりの設備が整っているのだろうと思っていたのでその光景にまず最初の衝撃を受けた。「早く乗れ!」といった顔で合図されたが、あまりの衝撃に最初のその列車は見送ってしまった。その後無事バンコクへ移動して、タイ北部ラオス国境の街ノーンカーイ行きの夜行列車のチケットを買った。その列車を待つ間バンコクを散策。初めての屋台やトゥクトゥクを体験しちょっと感動。夜はチャイナタウン周辺の路上で闇市?野市?がはじまり、またまた衝撃を受けた。

その後メコン川を渡りラオスへ入国。ラオスでは首都ビエンチャン、自然豊かな景勝地ヴァンヴィエン、古都ルアンパバーン、少数民族が多い北部ルアンナムターなどを廻り、タイへ入りチェンマイ~バンコクへ戻るというルートで旅をした。当時のラオスはまだまだ経済発展が進んでおらず、素朴な風景が多く自然も美しかった。とはいえ初めての海外、見るものすべてが新鮮でカルチャーショックだった。特に市場では様々なものが売られていて、見ていて面白かった。

当時は自分と同じようにバックパッカーをしている日本人や欧米人がたくさんいた。あらゆる旅先の宿や観光地などで日本人に出会った。物価は安く、1食30円~50円、1泊100円~300円くらいで宿泊できた。旅の後半、確か北部のルアンナムターの小さな町だったと思うが、疲れてきたことと慣れてきて警戒心が薄れてしまったところを狙われ、お金を捕られてしまった。宿の窓のカギを閉め忘れて寝てしまい、しかも迂闊にもその付近にかばんを置いてしまっていたのだ。朝起きたら財布にお金が全くなく、愕然として頭が真っ白になった。現地の警察には一応届け出たものの、簡単に事情を聴かれ「goodluck!」とだけ言われた。

その後わずかに残った小銭を使いバスに乗り、この地に移動する前の町で出会い仲良くなった日本人の大学生を訪ね、事情を説明し助けてもらえることになった。彼もそんなにお金に余裕はなかったが、日々の食費や宿代を貸してもらいながら彼の目的地のタイのチェンマイを目指した。また親にホットメールで連絡し、チェンマイの日本大使館宛に送金してもらうよう頼んだ。チェンマイに着くと日本大使館へ行き、親から送金してもらったお金を受け取った。一人でなんでもできるつもりだったが結局親に助けてもらい、自分の小ささが身に染みた。そのお金で借りていたお金を返し、最後の数日はまた一人旅で小さな村などをまわった。

盗難被害はバックパッカーあるあるだと思うが、本当に油断は禁物だということを学んだ。他にも下痢がとまらなかったり、多少ぼったくられたりといったことはあったが、タイやラオスは比較的治安もいいとされていてそこまで怖い思いをすることはなかった。今思えば本当に貴重な冒険旅行で、いろいろあったが行けて本当によかったと思っている。ただ旅行者と現地の人々の経済格差をすごく感じた。自分もお金持ちの国日本の若者だから旅ができたわけだが、旅行者が観光地だけでなく現地の人の生活に近いところでもたくさん増えることで、現地の経済や文化を破壊している面もあるのでは・・?と考えさせられることもあった。

結局この旅の後は海外へ行くことはなく、このタイとラオスの1カ月の旅が今でも僕の唯一の海外への旅となっている。本当は30歳くらいまではフラフラして、もっとあちこち旅に出かけたいと思っていたのだが想定外に八百屋をはじめることになってしまった(笑)。

大学時代編⑪ 南西諸島横断の旅後編

update:
2022.3.22
category:
大学時代編

奄美から沖縄本島へ渡り、沖縄本島をヒッチハイクで1周してみることにした。前回の沖縄旅行は八重山で大自然に触れることができたが、今回はよりディープに沖縄の文化や歴史に触れてみたかった。

ヒッチハイクでは、沖縄の人々の様々な優しさに触れた思い出がたくさんある。ある時はパイナップルパークのお偉いさんに乗せてもらってパークのチケットをもらい、パイナップルパークで遊ばせてもらった。またある時は若いお兄さんにハンバーガーを奢ってもらい、その後戦争時代の避難壕に連れて行ってもらいそこで実際にあった辛い歴史を教えてもらった。北部のやんばるでは有機農業をはじめたばかりのお弁当屋さんに出会った。部屋にも泊めてくれ、気になっていた阪神戦の試合も見せてくれた(この2003年阪神18年振りの優勝)。そして「街の方へ行ったら僕の弁当屋によりなさい、お店に連絡しておくから」と言われた。その後実際にそのお弁当屋さんに行って事情を話すと、お店の方はお弁当やらおかずやらをたくさん持たせて笑顔で送り出してくれ、とても感動した。他にもほとんどの人が「これを持っていきなさい」と何か渡してくれるような優しい人ばかりだった。

米軍基地とその周辺の街コザに行き歩いて廻った。コザはリトルアメリカといった感じで英語の看板が並び、どことなくノスタルジックな雰囲気があった。米軍基地の問題についてとても考えさせられた。ひめゆり平和祈念資料館へも行った。沖縄戦の悲惨で凄惨な歴史、若い女生徒の方が次々と亡くなられていく様がありありと展示され、とても心に刺さるものがあった。また語り部の方のお話も聞き、こんなことが二度とあってはならないと強く思った。美ら海水族館では大きなマンタを見た。那覇では第一公設市場を歩き独特のアジアンな雰囲気を感じた。ある時は民宿に宿泊中、宿の前で突然エイサーがはじまった。一糸乱れぬ踊りと太鼓の音と掛け声はとても迫力があった。沖縄に根付く民衆の文化の底力を垣間見た。北から南へ約10日程かけてぐるっと一周して、最後は「粟国島」へ渡った。この島では同じ大学の友人が民宿で働いていてそこに遊びに行った。海と空が最高にきれいな島だった。

そんな感じで沖縄への旅は終わったが、この旅であらためて沖縄が大好きになった。沖縄に根付く優しさやおおらかさ、歌や踊りなど文化の豊かさに惹かれた。しかしそれと同時に「ウチナンチュ」として、沖縄だけに米軍基地が集中していることや戦争で沖縄に甚大な被害をもたらしたことなどを思い、とても申し訳ない気持ちになった。それからも何度か沖縄へ旅をし、自分には何もできないが沖縄へはずっと関心を寄せ続けている。次はまたいつか子供達を連れて家族で旅行してみたい。

大学時代編⑩ 南西諸島横断の旅前編

update:
2022.3.19
category:
大学時代編

2003年の夏休み、屋久島~沖縄までを1カ月かけて旅をした。旅費を節約するため、テントを担いでの野宿旅だった。それまでキャンプなどほとんどしたことがなかったが、ホームセンターで安いテントと最低限のキャンプ用品を買い揃えた。

まず最初の目的地は屋久島だった。無料キャンプ場にテントを張った。縄文杉を目指してトレッキングをして、山中キャンプにも挑戦した。縄文杉は壮言ですごい迫力で感動的だった。苔のむす森「白谷雲水峡」などを見て回り大自然を満喫した。台風も経験し、さすがに台風の間は安宿へ宿泊した。

その後フェリーで一度鹿児島に戻り、「トカラ列島」を目指した。トカラ列島は鹿児島と奄美黄島の間に点在する10の島々で、7つの島が有人島。一島あたりの人口はどこも100人前後。週1回~2回のフェリーしか交通手段がなく、しかも鹿児島からでさえ数時間かかるという秘境の地。まず最初についたのは「宝島」という島だった。旅行者は僕と同じようにテントを張って野宿旅をしていた大学生1名だけだった。貸し切り状態のめちゃくちゃ綺麗なビーチで泳ぐほかはやることがなく、大自然の中でひたすらぼーっとすごした。

その後「悪石島」という島へ移動。この島ではお盆に行われる「ボゼ祭り」というこの島独特のお祭りを見た。まるでポリネシアのような南洋諸島を思わせる被り物を被った仮面人が現れ、赤土がぬられた男性器の形をした棒をもって人々を追いかけまわし赤土をつける・・という内容だった。悪霊を退散させ、新たな生の世界へ蘇らせる役目を負っているそうだ。お祭りはなかなかの迫力で圧倒された。こんな独特の文化があることにとても驚き、日本は広いなと思った。島には食堂がなく食事はひたすらカップラーメンだった。砂蒸し風呂や海の見える露天風呂などもあり、真夏で暑かったがゆっくりと過ごした。島の方々にもとても親切にしていただき思い出の残る島になった。

その後、トカラ列島を後にして奄美大島へ。本当は奄美もゆっくりみて回りたかったのだが、屋久島とトカラ列島で時間を食ってしまったので1泊だけして沖縄本島を目指した。

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  1. 考え方
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  1. 下鴨時代編① 試行錯誤の毎日
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